
2008年、孫正義はスティーブ・ジョブズを説得してiPhoneを日本に独占で持ち込んだ。日本のIT産業のスマートフォンシフトはそこから始まった。2026年3月6日、DeNA × AI Day 2026で南場智子会長がAI全振り1年の成果を公開したとき、その場面が重なって見えた。数字の規模と組織を作り変えた深さを見ると、ツールを一つ入れた話ではなかった。
発表がそうなら、中はどうなのか。DeNAで働く開発者A君に直接聞いた。発表の数字と現場の温度は違った。
#人員を半分に
人員を半分に減らすという言葉が現場に出たのは、2024年6月の全社発表会だった。文脈なしに投げ込まれた一言に、社内チャットにはクビにするということかという反応があふれた。説明はその後についてきた。今の仕事を半分の人員でこなし、残りは新しいAI事業を探しに行こうという趣旨で、期間はおよそ2年だった。一人がAIを使って二人分以上の仕事をこなさなければならないという意味だった。
続いて2025年2月、会社はAI全振りを宣言した。約3,000人で回していた既存事業を半分の人員で維持し、残りの半分を10人単位のスクワッドに編成して新規事業を次々と立ち上げるという計画だった。
新規事業側の戦略は、ファウンデーションモデルを自社で作る代わりに、その上のアプリケーションレイヤーでドメインの深さで勝負することで、その実行のためにエージェント事業専門の子会社DeNA AI Linkを設立した。南場会長は、中途半端な専門性は一瞬で淘汰されると警告した。汎用能力はOpenAIとGoogleが引き上げているのだから、生き残る組み合わせは自社固有のデータとドメイン知識しかないということだ。
#発表の数字
1年後の発表でDeNAは、一部のプロジェクトでは作業の95%をAIが担い、人は5%だけを担当するようになったとして、これを生産性20倍の事例として紹介した。2025年11月にClaude Opus 4.5が出てからは、コードを直接書く仕事が激減したという。法務レビューの工数は90%、QAの工数は50%、Pocochaライブ配信の審査コストは60%減ったと言った。
A君は自分のチームでAIが担う割合を40%から50%のあいだと見ていた。発表の95%は特定プロジェクトの事例で、周りのチームも自分のチームと似たようなものだというのが彼の話だ。その二つの数字が同じものさしで測ったものかどうかは確認できなかった。
核心は、既存業務にAIを載せたのではなく、AIを前提に業務フローを設計し直したことだ。DeNAは現場から上がってきた活用事例100件以上を、百本ノックという名前で公開した。野球で守備の選手にボールを100本続けて打って捕らせる練習から来た言葉で、実戦を繰り返して体に覚え込ませるという意味だ。
発表はAI活用を三つの段階に整理した。第一はプロンプトエンジニアリングで、AIに良い質問を投げる段階だ。コードレビューや契約書の要約のような単発のリクエストがここに入る。発表は、1年前まではこれだけで十分だったし、多くの会社がまだここにいると言った。
第二はコンテキストエンジニアリングで、プロジェクトの文書とコードベースと社内規定を一緒に渡して答えの精度を上げる段階だ。第三は環境エンジニアリングだ。エージェントが自ら情報を取りに行く時代になり、どこまで閲覧を許可し、どんな行動を許可するか、その範囲と権限を人が決めることが核心になった。DeNAはここまで入ったと言った。
IT部門はエージェントのレモンくんを社員として登録した。Wikiとカレンダーの閲覧は許可しつつ重要な作業は人の承認を受けるように権限を設計し、南場会長も毎日Slackでこのエージェントと対話しながら働いていると言った。AIをツールではなく組織の一員としてオンボーディングするアプローチだ。
#チームごとに違う速度
A君から見ると、同じ現場の中でも活用率はチームの性格によって分かれる。セキュリティ対応やインフラ移行のように定型化された共通作業を扱うチームは活用率が高く、新機能を設計するチームは低い。そうしたチームは、AIに渡せる良いコンテキストを先に作ることに時間を使っている。発表が言った第二段階、コンテキストエンジニアリングを現場が身をもって経験しているわけだ。
速度もチームごとに分かれる。A君が見たチームの中には、3か月の計画を2週間で終えたチームもあれば、3か月でもぎりぎりのチームもある。一定だった開発サイクルが、チームごとに違う速度で再編されている。
#水準を測るものさし
発表の三段階が技術の段階を言うなら、人は別に測る。DeNAは2025年8月からDARS(DeNA AI Readiness Score)という指標で社員のAI活用レベルを5段階で測っている。非開発者と開発者を分け、非開発者にはAIの出力を手直しして使えるかを、開発者にはエージェントを設計して運用できるかを問う。同じレベルでも求める能力が違う。
開発者の基準はこうだ。
- レベル1:AIと対話してコードを作り、情報を集められる。
- レベル2:AIをエディタに統合し、プロンプトを直せる。
- レベル3:エージェントで作業の一部を代替し、プロンプトチェーンを設計できる。
- レベル4:独立型エージェントをチームメンバーとして運用し、AIアプリとエージェントを設計できる。
- レベル5:AIプラットフォームとオーケストレーションエージェントを構築し、組織全体のAI開発を率いる。

個人レベルとは別に組織レベルも測る。組織レベルにも定量基準があって組織単位で追跡でき、公式発表が掲げる目標は、協業など避けられない事情のある一部の組織を除き、2025会計年度中にすべての組織が組織レベル2に届くことだ。
A君の知る範囲では、大半の社員はレベル2に留まっていて、レベル4と5に届いた人はまだいない。会社が求めているのはレベル4だ。IT部門のレモンくんのようにエージェントをチームメンバーとして運用する姿がレベル4の言う姿に近いが、それを個人がこなす水準にはまだ距離がある。DARSは人事評価に直接は連動していないが、等級定義の推奨要素であり、半期の目標設定には入っている。A君の感触では、いずれ評価に入るというメッセージは強く伝わっている。
#コストは締め、ツールは開く
コストの流れが1年の段階を示している。宣言の直後は本社がAI利用コストを全額負担した。好きなだけ使ってみろという方針のもとで全社がVertex AI APIを使い、トークン単位の課金なので1人が月100万ウォンを超えるケースも出た。
2026年4月からコストが本社から各サービス組織へ移管された。個人が使える金額は減り、代わりに会社は無制限で使えるツールを決めて提供した。タスクを任せると自ら計画してコーディングし、PRまで上げる自律型コーディングエージェントのDevinと、コードレビューツールのCodeRabbitだ。DevinはDeNAが2026年3月に社員2,000人以上へ全社導入したと発表したツールだ。可能性を広く検証していた時期を過ぎ、コストは締めてツールは開く段階に入ったということだ。
Devinが入ってからGitHubのPRにはコメントが200件ずつ積もる。Devinと交わした対話がすべて記録として残るが、ローカルで作業していたころには見えなかった過程だ。作業が透明になったという意味で、誰がどれだけ何をしたかが全員に見えるという意味でもある。
A君のチームでは開発の順番も変わった。以前はモックアップを作り、レビューを経てから開発に入っていた。今はまずAIで作ってそこから直すのが基本だ。作ってから修正する方が、モックアップを詰めるより速いからだ。
#人が余ったと報告した人はいなかった
数字だけ見れば成功だ。ところが計画どおりにいかなかったことが一つあった。効率化はされたのに、人は思ったほど動かなかった。
業務時間が減ると、社員はやりたかったけれどできなかった仕事をその空きに詰めた。時間が余れば、人は後回しにしていた仕事から取り出す。だから人が余ったと報告した人は誰もおらず、人材を新規事業へ移すという本来の目標は予想より遅かった。
南場会長の解法はストレートだった。ある程度乱暴なリーダーシップが必要だと言った。現場が動くのを待たず、トップダウンで人員を先に動かし、空いた席をAIで埋める側へ順番をひっくり返すということだ。マネージャーの評価にも、人材を新規事業へどれだけ送り出したかを反映すると明らかにした。
人員半分というメッセージは採用にも届いた。A君のチームは2年続けて新卒を採っていない。その言葉が出た以上、攻めの採用はできず、必要ならすぐ戦力になる中途を中心に採る。A君は、これだけの規模の会社が新卒を採らなければ、日本の開発者はどこへ行けばいいのかと言った。AIが生産性を上げる分、ジュニアが育つ場所は狭くなっている。
現場といっても、この記事が見たのは開発者一人のチームだ。ただ、発表と現場の温度差をすべて認めても、作る順番がひっくり返ったのは事実で、A君の周りに1年前と同じやり方で仕事をしている人はいない。どちらが間違っているという意味ではない。同じ1年を上から見たのと中から見たのとの違いだ。どちらから見ても、引き返せない地点は過ぎた。
2008年にiPhoneが入ってきた後も、日本のモバイルシフトには数年かかった。ツールは一日で変わるが、組織がそれに合わせて再編されるには時間がかかる。発表は95%を特定プロジェクトの事例として挙げ、A君の50%からはその外側のチームがどのあたりにいるかが分かる。残った問いは、効率化で生まれた余白を埋める速度と、その果実が誰に渡るのかだ。
#参考資料
- 南場智子 AI Day 2026キーノート全文(フルスイング by DeNA)。95%と20倍が同じプロジェクトの事例だというくだりを含む公式の全文。
- 南場智子 AI Day 2026講演全文(エンジニアtype)。AI活用の三段階を含むキーノートの全文。
- DeNA AI活用百本ノック(PDF)。現場から上がった活用事例100件。
- DeNA AI Readiness Score公式発表。DARSの5段階基準と、個人レベルと組織レベルの定義。
- DARS導入の背景インタビュー(フルスイング by DeNA)。指標を作った側が語る導入理由。